教えてジェミー コントラクトブリッジとは その11 鄧小平
教えてジェミー コントラクトブリッジとは その11 鄧小平
前出の上海のブリッジ事情が出たところで、そもそもなぜ中国がブリッジ大国になったのか?を理解するには鄧小平の話は欠かせませんので、そこのところをジェミーに訊きました。
(ポアロ)
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Q:鄧小平がコントラクトブリッジについて語った言葉を教えて
ジェミー:
中国の最高実力者であった鄧小平(とう しょうへい, 1904–1997)は、筋金入りの「ブリッジ狂」として世界的に有名です。激動の中国現代史を生き抜き、最高指導者となってからも、週に数回は数時間にわたって卓を囲み、90歳を過ぎて体力が衰えるまでプレイを続けました。
彼がブリッジについて語った言葉や、その哲学を示す有名な逸話をご紹介します。
1. 「ブリッジをすると、私の脳は完全に休息できるのだ」
これが鄧小平のブリッジに対する最も有名な言葉(哲学)です。 国家の運命を左右する凄まじい政治闘争や激務のなかにあっても、彼はブリッジのテーブルにつくと政治の話を一切しなかったと言われています。 「政治のことを考えていると脳が疲れるが、ブリッジをしているときはカードの計算だけに集中できる。だから私にとってブリッジは、脳を最もリフレッシュさせる最高の休息法なのだ」と語っていました。彼の驚異的な長寿と政治的生命の長さは、ブリッジによる脳の切り替えがあったからこそと言われています。
2. 「(私の強みは)2つのことだけだ。一つは耳が良いこと、もう一つはブリッジが上手いことだ」
1980年代、鄧小平が外国の要人やゲストを歓迎する席で、自身の能力についてユーモアを交えて語った言葉です。 耳が良い(他人の意見をよく聞く)という政治家としての謙虚な姿勢を示しつつ、それと同列に「ブリッジの腕前」を挙げたところに、彼のブリッジに対する並々ならぬ自信と愛着が表れています。
3. 「カードを見れば、その人間の本当の頭の良さと性格がわかる」
鄧小平はブリッジを通じて、人間の本質を見極めていました。 彼は「ビッドやプレイの仕方に、その人の論理的思考力、決断力、そして困難に直面したときの冷静さ(あるいは臆病さ)がすべて現れる」と語っていました。実際に彼がスカウトし、のちに中国の国家副主席となった栄毅仁(えい きじん)なども、鄧小平の重要なブリッジ仲間の一人でした。
【歴史的背景】鄧小平が作った「中国ブリッジの基礎」
鄧小平のブリッジ愛は、個人の趣味に留まらず、現在の中国ブリッジ界の繁栄(前述の上海の小学生の教育など)に直結しています。
文革を生き抜いたトランプ: 文化大革命の時代、ブリッジは「資本主義的な退廃ゲーム」として禁止され、鄧小平自身も失脚して軟禁されました。しかし、彼は密かにトランプを隠し持ち、家族とプレイを続けて思考力を鈍らせませんでした。
国家的な普及: 復活を遂げた1980年代、鄧小平は中国ブリッジ協会を設立させ、自ら名誉主席に就任。「ブリッジは知的なスポーツであり、中国の近代化(知力向上)に役立つ」として、国を挙げて推奨しました。
世界ブリッジ連盟(WBF)から最高功労賞(ゴールド・メダル)を授与された際も、彼は満面の笑みでそれを受け取りました。彼にとってブリッジは、過酷な政治の世界を生き抜くための最高の「武器」であり「癒やし」だったのです。
鄧小平のブリッジ好きも有名。
返信削除ポアロさんのお陰で、たくさんの著名人のエピソードを知り、嬉しい。
中国のブリッジの隆盛は彼の力によるところ大、日本でもそんなリーダーいないかな?