教えてジェミー コントラクトブリッジとは その16 エリ・カルバートソン

 教えてジェミー コントラクトブリッジとは その16 エリ・カルバートソン

アメリカをブリッジ大国たらしめた立役者エリ・カルバートソンが今回の主人公です。

動画カルバートソン対レンズ戦 (正面右がカルバートソン、左がレンズ、女性はジョセフィン、その右はジャコビー)

(ポアロ)

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Q:エリ・カルバートソンがコントラクトブリッジについて語った言葉とエピソードを教えて

ジェミー:

1930年代にアメリカで空前のブリッジブームを巻き起こした主役、エリ・カルバートソン(Ely Culbertson, 1891–1955)は、ゲームの達人であると同時に、自らを「大衆心理の演出家」と称した天才的なプロモーターでした。

彼が残した言葉や、ブームを加熱させた規格外のエピソードをご紹介します。

エリ・カルバートソンの言葉

1. 「機械的な知識だけでは、マスターにはなれない」

“The sum of all technical knowledge cannot make a master contract player… To become a member of the upper crust calls for more, much more — Resilience, imagination, occasional flashes of inspiration.” (すべての技術的知識を足し合わせたとしても、ブリッジの達人にはなれない。一流の仲間入りをするには、もっと多くのものが必要だ。それは回復力、想像力、そして時折きらめくインスピレーションである)

彼は初心者向けにわかりやすい「カルバートソン・システム」を作って売る一方で、本質的にはブリッジを単なる数理ゲームではなく、「想像力と心理戦が火花を散らす芸術」だと考えていました。

2. 「すべてのブリッジとチェスのプレイヤーは、少し狂っている」

“All bridge and chess players are slightly cuckoo.”

自身もブリッジの前にチェスに没頭していたカルバートソンは、四六時中カードや盤面のシミュレーションに頭を悩ませ、ゲームの深淵に取り憑かれていくプレイヤーたちの性質を、ユーモアと親愛を込めてこのように表現しました。

3. 「私は朝起きて、ただ仕事に行っただけだ」

1933年、ブームが絶頂にある中で記者から「他のブリッジの権威たちをごぼう抜きにして、なぜあなただけがそこまで成功できたのか?」と問われた際の言葉です。 実際には緻密なマーケティング戦略(全国にインストラクターを組織し、自分の本を「聖書」として売るなど)を敷いていた彼ですが、自らの成功を平然としたビジネスの顔で語る冷徹さも持ち合わせていました。

稀代のプロモーターならではのエピソード

1. 妻のひと言で「無職のギャンブラー」から「億万長者」へ

カルバートソンはロシア生まれで、ロシア革命後に渡米した当初は無職で、ポーカーやブリッジの勝ち金だけで暮らすしがないギャンブラーでした。 転機となったのは、優秀なブリッジの指導者であったジョセフィン・ディロンとの結婚です。彼のカードの読みの深さに気づいた妻から「あなたには特別な才能(フレア)がある。これをただのギャンブルではなく、プロのビジネスにしなさい」と激しく励まされました。 この言葉をきっかけに彼は本気になり、後にシステムを開発して本をミリオンセラーにし、大富豪へと上り詰めたのです。この逸話は、デール・カーネギーの名著『人を動かす』の中でも「励ましが人間を変える例」として紹介されています。

2. 人々を熱狂させた「悪魔とのブリッジ」のホラ話

彼は大衆の関心を惹きつけるためなら、嘘とも本当ともつかない奇妙なエピソードを披露する「ストーリーテラー」でもありました。 彼が語った有名なホラ話(Tall Story)に、「ある夜、悪魔(サタン)が左隣の席に座ってブリッジをした」というものがあります。カルバートソンは「スペード・ハート・ダイヤ・クラブのAKQJがすべて揃った完璧な配牌」を得て、最高難度のグランドスラムを宣言します。悪魔が不敵に笑ってダブル(賭け金を倍にする)を宣言し、カルバートソンがさらにレッドゥーブル(さらに倍)で応じたその瞬間、悪魔は「地獄の新しい5番目の緑色のスーツ(マーク)」を繰り出し、すべてのトリックをさらっていった……という怪談交じりのジョークです。彼はこうしたユーモアで、常にメディアの話題を独占していました。

3. 「世紀のブリッジ対決」での冷徹な演出

1931年の「世紀のブリッジ対決(カルバートソン対レンズ戦)」では、試合を盛り上げるために数々のパフォーマンスを行いました。 対局中、対戦相手が長考していると、カルバートソンは「誰かあいつのロシア製ブーツが歩き回る音を止めてくれ!(相手はアメリカ人だが、相手を苛立たせるためのブラフ)」と言い放ったり、試合で使ったデッキ(トランプ)をその場でチャリティオークションにかけて新聞の話題をさらったりしました。彼はゲームの勝ち負けだけでなく、「いかにこの試合を全米のエンターテインメントにするか」を計算し尽くしていました。

【ブリッジの先へ】平和主義者としての晩年 1930年代後半、第二次世界大戦の足音が近づくと、カルバートソンは突然ブリッジへの興味を失ってしまいます。彼は「ブリッジで得た知名度と富は、世界平和のために使うべきだ」と考え、国際的な武器管理や、後の国際連合(UN)の警察力強化につながる平和計画の提唱に後半生を捧げました。

彼はブリッジというゲームを誰よりも愛し、それを利用してアメリカに空前のブームをもたらした、文字通り「ブリッジの帝王」でした。

コメント

  1. ブリッジの帝王の人生を垣間見るエピソード、ありがとうございます。
    彼を知らなかった私ですが、アメリカでのブリッジの隆盛をもたらした手腕など興味深いです。
    晩年、平和を求めたのは、人生を振りかっての境地か?世界の指導者もそんな風にならないかと思います。

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  2. カーネギーの著書の中に記述があるならと思って蔵書をさがしましたが、人を動かすは処分したみたいで残念です。
    大昔に読んだ記憶はあるのですがブリッジを知らない頃だし、カルバートソンの記述も含め記憶は消滅しています。
    面白そうなので、図書館で探してみます!

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