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札幌ブリッジクラブのレジェンド達~その2(前編)

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 90歳オーバーでも元気にブリッジを楽しんでいらっしゃる素敵なシニアの第2弾です。 2005年に北電ブリッジクラブと千歳ブリッジクラブが統合して正式に札幌ブリッジクラブとなり今まで20年活動していますが、初代会長のM氏を紹介します。会員番号20000台で長い間プレイをされています。 東京生まれのM氏ですが、1959年から航空自衛隊で整備関係の仕事に携わっていたとのこと。当時千歳基地においてはパイロットや整備の方々の間でラバーブリッジが盛んにおこなわれていたそうです。コントラクトブリッジと巡り合ったのは本当に若い頃なんですね。 数年後には米軍のキャンプでの親善試合に参加し、初めてデュプリケートブリッジを体験し、その素晴らしさに驚いたそうです。試合帰りに米軍クラブのマネジャーからゴーレンの原書をいただき、それを翻訳して航空自衛隊に拡がって千歳ブリッジクラブが発足し米軍との親善試合が行われるようになっていったそうです。 後編に続く (ボンド) 参考リンク Charles H.Goren著  『Contract Bridge for Beginners』 清水のブリッジブログ「スタンダードとは」から :「1960~70年代は4枚メジャーでフォーシングレイズのゴーレン(Goren)が米国に於けるスタンダードでした。」

美人にまつわるブリッジ その② トロイのヘレン

 美人にまつわるブリッジ  その② トロイのヘレン B.C. 1,100年。現トルコ北西部にトロイはあり、その国の王子の弟パリスによってスパルタ(ギリシャ)の王の妃ヘレン(世界一の美女と謳われた)がさらわれたことから戦争となった。アキレスも登場し活躍するも欠点である踵を射抜かれ死亡。ギリシャからの贈り物の「木馬」が有名となりヘレンより知られています。 ゲームでの作戦として「取れるものを先に取っておく」。「ギリギリまで勝ちを待つ」。が考えられますが。ゆとりのないときにこそオポーネントに勝ちを譲る(大きな贈り物)ことで、贈り物の内部にある作戦(コントラクトを無くす、エントリーを無くす、先にリードすること損である)にまんまと乗せられ手痛い敗北をきっします。(トロイのように) アキレスのように優れた戦士でも弱点があって , 負けることもあり得るのです。どんなに強い相手とあたっても頑張りましょう。 (タツ)

美人にまつわるブリッジ その① ミロのビーナス

  美人にまつわるブリッジ その① ミロのビーナス エーゲ海のミロ島で発見されたギリシャ彫刻(現在ルーブル美術館在住)発見時には両腕はあったとか。ブリッジとの関連は調和のとれた8頭身が問題です。ブリッジでの評価点40 HCP を8分割すると決断点が明確化されます。自分のハンドの評価で15 HCP を超えバランスがとれていたらビーナスの上からみて「へそ」のところです、即、 NT を決断しましょう。 二人合計点は足元から見ていきます。25 HCP はやはり「へそ」です、ゲームへの決断です。胸部には直接目に入りませんが、心臓があります。30 HCP 越えはスラムへの誘いです。さらに鼻は注目点です。37 HCP を超えているかいないかグランドスラムへの決断です。足りない場合はどうしましょう?ちょっと危険を伴いますが「下駄を履く」(ハイヒール、つま先立ちなど)のはどうでしょう。おお女神様、勇者に幸運を! (タツ)

日本昔話のブリッジ的解釈 その④ 浦島太郎

 日本昔話のブリッジ的解釈 その④ 浦島太郎   ちょっと昔、都会の優秀なブリッジプレイヤーの太郎はスランプがちで散歩の途中、海辺の片隅のさえないバーに入ると、うら若き女性と非弱(ひよわ)そうな男子(亀吉:ブリッジクラブでは中級クラスの顔見知り)の二人と、如何にも怪しげな二人がラバーブリッジで大金を賭けていた。勝負は怪しげな二人の優勢にみえていた。太郎がトイレに入ると亀吉という子が遅れて入ってきて、このままでは恩ある人(女性)に申し訳なくてと、泣いて代わりを頼むのであった、太郎はちょっとスランプのやけ気味気分で引き受ける。 勝負は一晩中続いたが、その辺のヤクザ風情が勝てる相手ではない太郎は、頼りない女性パートナーと勝ちを拾い終了した。そのまま帰ろうとした太郎に亀吉と女性がしがみ付きお礼がしたいと、女性のパパが経営するカジノに招待された。 なんと行く先はラスベガスの大カジノ店で、下にも置かない待遇。毎日あらゆるカードゲーム(ポーカー、バカラ、7ナラベ、神経衰弱、婆抜、エトセトラ、 etc )を楽しみました。もちろん優秀なブリッジプレイヤーの太郎は勝ちまくり(舞踊り状態)、月日の経つのを忘れるぐらい楽しみました。  しかし、ふとブリッジがやりたいとの思いが強くなり。帰ることとなります。女性は何度も留めますが最後に1通の封筒と航空チケットとカジノで稼いだ大金を渡し、「困ったら封筒を開けてね」と。  日本の都会に帰ったときにはすでに初老となっている太郎を暖かく迎える人々はもういなかったのです。しかたなく封筒をあけると1枚の北国の地図が。そこを目指して真っ白な粉雪の中やっとたどり着いたら、そこは札幌ブリッジクラブでした、暖かく向かい入れられた彼は、名前を変えていますが誰よりもブリッジを楽しんでいるようです。めでたし・めでたし。 いまでも亀を見ると懐かしそうにするとかしないとか。 (タツ)

日本昔話のブリッジ的解釈 その③ 金太郎

 日本昔話のブリッジ的解釈 その③ 金太郎  これはチーム戦のお話しです。小田原市(神奈川県)足柄山で生まれ育った地元人々(クマさん、大ゴイさん、ウサギさんたち)と子どものころからブリッジを始め、日がな一日遊んでいました。頭脳的体力(マサカリをぶん回す程)にも恵まれていて、評判のプレイヤーでした。 そこへ都会(当時は京都)で活躍しようとしていた、源頼光に見い出され、鍛え上げられブリッジ才能を遺憾なく発揮し、頼光四天王と呼ばれるまでになりました。 全各地で大暴れして妖怪とまでよばれている地方選手団(大江山の酒呑童子など)をチームブリッジ大会において次々と打ち破り凱旋していました。最後は福岡で55歳で坂田金時として病死(1011年)、若いよね! トレードマークの赤い肌は酒のせいではなく、当時、恐れられていた疱瘡に罹患したさいの軽癒のためとされている? (タツ)

日本昔話のブリッジ的解釈 その② 桃太郎

 日本昔話のブリッジ的解釈 その② 桃太郎  これもペア戦のお話です。田舎でのんびり悠々と育った桃太郎は外面とは違い凄腕のブリッジプレイヤーでした。 その頭脳には、一つ、上空からの冷静な判断と一点を突く急激な攻撃(キジ)、二つ、多少無謀そうに見える状況からでもやってしまう機敏なしなやかさ(ワカザル)、三つ、基本に忠実で頑強なスタイル(イヌ)の三面をもち状況に応じて使い分けられる阿修羅像のようなプレイヤーと思われます。 でもなんといっても、忘れてはいけないのはその三つの面の全て的確に対応しエネルギーを与えてくれるパートナー(キビ団子{吉備の姫君?})の存在です。都会の鬼と呼ばれるペアの集団を次々と倒し優勝しポイントも大量ゲット、ヤンラ・ヤレヤレ。 (タツ)

日本昔話のブリッジ的解釈 その① さるかに合戦

 日本昔話のブリッジ的解釈 その① さるかに合戦  サルとカニの間で最初、柿の種とおむすびの交換はスムーズに終了しましたが、柿の実が成る頃(8年経過?)実の権利を巡りペア戦を行いました。ナチュラルなビッドで終始したカニペアは完敗しました。悔しさに子供達には武者修行をさせ、そして子供は立派なブリッジプレイヤーと育ったのでした。 そこでサルと再度対戦。囲炉裏を囲みラバーブリッジを開始。 まずはサルペアの3 NT のビッドにダブルをかけて4ダウン(栗のはじけ攻撃)させ、次に競り合いからの5ダイヤモンドのメイク(蜂の一撃)、最後にキュービット(牛ふん)とブラックウッドの連携を駆使したグランドスラムメイク(ドスンと臼が落下)でフニッシュ。 カニペアの華麗なるデフェンスと攻撃に這々の体でサルペアは降参しましたとさ。 (タツ)